LCシニアクラブ 竹澤正明
筆者は35年以上勤めた(株)東レリサーチセンターを2025年9月末に退職した。往々にして慌ただしい生活を送っていたせいか、いつの間にか食を楽しむと言う、人が営む基本的な習慣から程遠い毎日であった。今思うと、ゆとりに欠け、空腹感を満たすために、食していたと言っても過言では無い。退職した今、自由に時間を楽しむ様になり、そして「ゆとり」が出来た。食もその一つであり、楽しみながら、ゆっくりと流れていく時間を楽しんでいる。単身赴任時に培った料理作りが何故か復活し、スーパーで食材を買い漁り、料理している。
さて、読者の皆さんは5つの味の基本をご存知だろうか。「甘み」、「塩味」、「酸味」、「苦味」、そして「うま味」だ。「うま味」は、日本人が発見した5番目の基本となる味で、昆布と鰹節から取った出汁が代表作だ。化学的には、アミノ酸と核酸を組み合わせる事により、強烈な「うま味」が生まれるそうだ。日本人の食文化から「うま味」が5つの味の一つに抜擢されたのは感慨深く誇りに思う。出汁には、昆布にグルタミン酸(アミノ酸)、鰹にイノシン酸(核酸)が含まれている。目を閉じて自分が作る状況を想像してみよう。楽しさを感じる。昨年、友人との旅行で、何気なく立ち寄ったお店で、美味しい「うま味」に巡り会った。「真鯛のだし」と呼ばれ、国産真鯛に円やかな海塩を加えた香り豊かな深い味わいの調味料だ。熱エネルギーは100 g当たり約150 kcalと、普段使っている塩よりもかなり高いのが特徴だ。この「うま味」と「塩味」が程良く調合された「真鯛のだし」は、万能で、炊き込みご飯、天ぷら、麺類、焼き物等、殆どの食材に適している。是非、味わって頂きたい。
塩味の主役である塩(塩化ナトリウム)は、人が生存していく上で最も代りが効かない物質で、体内で非常に重要な役割を担っている。ナトリウムは、体内の水分バランスを一定に保つ役割や神経の伝達に深く関与している。塩素は、胃液に含まれる胃酸の成分として利用されている。塩は残念な事に、体内で作り出す事が出来ない。そのため人は昔から本能的に欲する様に出来ている。歴史が証明している。戦国時代に今川氏は、塩の流通の封鎖を敵である武田信玄領地内に指揮した。武田氏の民は大いに苦しんだ。それを見かねた上杉謙信は、「戦いは兵で行うべきで、民を苦しめるのは卑怯だ」として、ライバルである武田信玄に塩を送り届けたと伝えられている。新潟県から長野県にかけて塩街道が今でも残っている。改めて、塩が貴重な料である事を認識出来る。
食材に塩を振りかける訳だが、食材の魅力は塩分を如何に引き出すかがポイントで、それは投入するタイミングだ。例えば、野菜炒めの場合、どのタイミングだろうか?炒める前?出来上がる直前?人其々かもしれないが、炒める前に塩を振りかけると、浸透圧が影響し、野菜から水分が漏れ出し、水っぽくなり歯応えは緩い感じとなる。一方、出来上がる直前に、塩を加えると、野菜本来の歯応えを感じる事が出来、旨さを感じ抜群になる。又、食感は美味しさを感じる五感として大事であり、同じ食材を使って料理をしても、塩を加えるタイミング一つで美味しさに違いがでる。野菜を投入する前に、水気は良く切って余分な水分が出す事が前提だ。肉料理の場合はどうだろう。ステーキは、焼く前に塩を振る。焼き上がる直前ではなく、焼く前だ。何故だろう。これは肉の表面のタンパク質を変性させ、焼いた時に表面が直ぐに固まり、中にある大切な肉汁(旨味)を閉じ込め、そしてジューシーに仕上げると言った効果があるためだ。加えて、焼く前に塩を振ると、水分と一緒に肉の臭みが排出され、肉の本来の旨みが濃縮され、よりクリアな味わいになる。さすがだ。
調味料には塩だけでは無く、他の調味料と組み合わせる場面が良くある。代表的なものが、砂糖、塩、酢、醤油(正油)、味噌だ。調味料を食材に投入する順番は「さしすせそ」が合言葉で、砂糖(さ)、塩(し)、酢(す)、醤油(正油)(せ)、味噌(そ)だ。農水省は、この順番には、「味が染み込み易くなる」、「香りを生かす」と言った科学的な理由があると言及している。是非、調味料を入れる順番をマスターし、有名店のシェフの味に近づけたいものだ。
勤務していた時代は、どの様な料理でも、筆者は一択で醤油を必ずかけて食べていた。所謂、醤油っ子だ。退職後、ネットで美味しそうなレシピを探しては、真似をして作って食している。感じるのは、醬油よりも出汁が食材を活かす点で重要である事を知った。鰹節や昆布で出汁を取れば、醤油では味合えない、匹敵する旨みを感じる事が出来る。出汁作りは面倒臭いと思われがちだが、一手間加える事で、同じ食材を調理するにしても劇的に変わるので、試してみてはどうであろうか。最近、コマーシャルで、レコードを布で拭き取る場面が頻繁に放映されている。宮沢りえさんが、タモリさんに対して「面倒臭くないですか」と言うと、タモリさんは、「面倒だからいんじゃない」と諭している。面倒臭さはあるが、物に対する愛着心や大切さが視聴者に伝わっている。レコードを拭き取る行為そのものを楽しんでいて、ゆっくりと時間が流れていく事を楽しんでいる様に映る。会社では、成果や結果を早く出す事に集中し、専念してしまうが、改めてこの短いコマーシャルの中で、人生を楽しんでいる事に気づく。
話を元に戻すが、食材に調味料を加える絶好のタイムミングがいつか、最近では自問自答しながら料理している。一つ一つの工程、調味料を加えるタイミングは実験操作と同様に、必ず意味がある。料理は言うまでもなく奥深いが、未だに理解出来ない。個々の食材の旨さを最大限に引き出し、栄養素を分解させないタイミングで調味料を加えているのであろうと思う。そして、その意味を自分ながらに探る事も楽しみの一つだ。「男子厨房に入らず」と言う言葉があるが、そんな事はない。「料理はサイエンス」であり、女子も男子も関係ない。料理は化学実験そのものである。そして両者ともに、化学反応の結果で成果だ。キャベツにしても切り方一つで食感は全く異なる。又、調味料を加える加減や熱の加減、時間も料理では重要だ。正しく台所で起きている事は、全てが精密な化学反応の結果と言える。料理と化学実験で得た結果は何も重要だが、料理は見た目を楽しむ側面がある。そして、成果物である料理は美味しさを五感から感じる事が出来る。美味しい化学と言える。一方、実験で得られた成果物は食する事は出来ず、この違いは大きい。化学実験は安全のために、成果物を「味見」する事は出来ない。料理は失敗しても、反省をして、次に活かす事が出来る。実験は貴重な試料の分析ではやり直しは出来ない。
最後に、今まで述べた事を否定する訳ではないが、食材そのものの味を殺さずに活かす事が一番である。調味料を加えずに、食材そのものを楽しむ事を忘れてはならない。何かと調味料を加えがちだが、その味に惑わされずに味わいたい。「さしすせそ」に加えて、味醂や酒、唐辛子、ニンニク等をチョイ足しする事で、味は更に激変するが、美味しさを楽しむのは食材の味そのものであろう。これが原点だと筆者は思う。
(2026年2月24日 記)
プロフィール
竹澤正明(MASAAKI Takezawa)
LC分析士三段、LC/MS分析士五段(マイスター)
略歴:
1987年3月 東京理科大学薬学部卒業
1989年3月 同大学院薬学研究科修士修了(薬品分析化学)
1989年4月 東レ(株)入社
同年6月 (株)東レリサーチセンター出向
理事(品質保証担当)、取締役、常務理事
2025年9月 退職
現在:(公社)日本分析化学会 液体クロマトグラフィー研究懇談会 LCシニアクラブ
専門:生体試料中の薬物分析(バイオアナリシス)、質量分析、品質管理
趣味:温泉、最近は料理(コンビニの味を自宅で試行錯誤しながら再現)
